- Q.卒業旅行でインドに行かれたとのことですが、なぜインドを選んだのですか?
- 大きく理由が2つあって、1つが大学在学中のアルバイトで、スパイスなどのインド料理の食材店で働いていたこと。もう一つが、当時流行った沢木耕太郎の『深夜特急』という本を元にしたテレビドラマで、取り上げられていたからです。この『深夜特急』という本は、元々は1980年代に出版された本で当時からバックパッカーに読まれていて、ちょうど私が大学生の時にテレビドラマが制作され話題になりました。まさに、ちょっと流行りに乗って行ってみようと思ったわけです。
当時のインドは、今ほど行きやすい地域ではなかったものの、アルバイトで稼いだお金で買った航空券だけを握りしめて出発しました。
- Q.1か月間バックパッカーをしながら旅をしてどんなことが印象に残っていますか?
- さまざまな場所を巡った中で、印象に残っているのは、どこでも異国人である私に声をかけてくるのは、子どもやお年寄りばかりだったということです。この写真は、インドの街かどで10代の子どもたちに囲まれ、「みんなで写真を」と言われ撮ったものです。旅人に関わろうとするのは子どもや老人ばかりというのは、まさに『深夜特急』に書かれている通りなんだなと実感しました。
一般の普通に働いている大人たちは忙しくて、僕らみたいな旅人に関わっている暇はないでしょうし、結構人懐っこくいろんな人に声を掛けられて、旅をするというのはそういうもんだなと感じました。
- Q.旅中にさまざまな人と会話した中で、印象に残っていることはありますか?
- 若者と喋った内容はあまり覚えて得ないですけど、道に座り込んでいたおじいさんに「お前日本人だろ? ちょっと待ってろ!」と声をかけられ、言葉のとおり待っていたら、家からラジカセを持ってきて、「これはSONY製のラジカセだ。日本製だろ?」と、わざわざ私にそれを見せるためだけに私を呼び止めたのでした。何でもないおじいさんが私と繋がりを持たせようとしたのが印象に残りました。私がインドを見に行ったつもりが、実際には僕という人間を通じて日本が見られているような感じがしました。
私は決して日本を代表するような存在ではないはずですけど、現地の人びとは「自分は日本人に会ったことがある」「自分は日本を知っている」と私との出会いのことを話すかも知れません。つまり、海外からの観光客を受け入れるだけでなく、私たちが海外に行くことによって、自分たちの国について知ってもらえるかも知れない。必ずしも受け入れるだけが文化交流ではないと思いますし、そのことを常に学生たちにも伝えています。ネパール・カトマンズで地元商店の店主との1枚。カメラを出したら「写真を撮るのか」と店から出てきて一緒に撮ったそう。ネパールは当初訪問する予定ではなかったという。
- Q.元々訪問予定ではなかったネパールヘはどんな経緯で行くことになったのですか?
- 元々この旅では、『深夜特急』の逆順のようなルートで、ニューデリーからカルカタ(現コルカタ)という形で旅する予定でした。途中、ガンジス川のほとりにあるバナラシで、疲れと食べ物にあたって倒れてしまったんです。安宿のベッドで数日寝込む中で、いったんインドを離れたい、それなら『深夜特急』にも登場する隣国ネパールだと考えました。
- Q.食文化や衛生環境の違いでの体調不良はインド旅でよく聞きますが、実際には帰国したいと感じませんでした?
- 不思議と私は大丈夫でした。カレー味ばかりのインドに比べて、ネパールには餃子に似た「モモ」など中華料理的な料理があるので、食欲も戻るのではないかと思いました。また当時は、インドの様々な要素、食だけでなく現地の話しかけてくる人とかも、とても刺激が強く感じて、ネパールのほうがマイルドなのではないかと期待したんです。
- Q.実際に訪問したネパール・カトマンズではどうでしたか?
- まず、いろいろと過酷だったインドを離れ、カトマンズに到着した時にはほっとしました。カトマンズは、どこか日本を思い出させるような景色に癒されました。陸路で移動で国境を超えながら、そのまま東アジアに繋がっているんだなと感じました。実際、街で見られる建物や風景も少し見慣れた景色で、人との付き合い方もゆったりとしていていました。
ネパールからインドに戻り、帰国直前に撮った写真。ポーズをして写真を撮ることなどほぼないという野口先生だが、この時はなぜか撮ったそう。
- Q.旅の終わりで撮ったというこの写真ですが、この旅はどんな旅でしたか?
- 帰国直前で体調も良くなり、大分余裕が出来たころの写真です。ふだんポーズとって写真撮ることはとほんどないですし、実際この一枚くらいしか思い浮かびません。よくある疑問として、「旅は人間を変えるのか」、「いや旅ぐらいで変わる人間は軽いのか」があります。また、特に「インドでの旅は人を変える」とも言われます。旅行することがどのくらい人に影響を与えるのか。それは人によって、訪問先によって変わると思います。でも私は日本にいたふだんの自分、ぼんやりと過ごしている自分でしたけど、インドではそんな感じでは、時に騙されちゃうこともあるんです。ですから、仮に騙そうとしてきた人にも、圧力に負けずに交渉しないとぼったくられてしまうし、時に強気に出ないといけなくて、地元の人びとはそうやって暮らしているんだぁと違いを感じました。日本では、毎日毎日交渉なんかしないし、どちらかというとぼんやり生きているんだけど、いざとなれば大声が出せることに気付いて、案外自分にもタフな部分もあるんだなと、いつもの自分とは違う自分に会った気がしました。
それをもって「旅で人生変わったのかな」と考えていたのがこの写真の時の自分でした。この写真は観光のことを考えるときのヒントになっていたりします。
- Q.一言でこの旅を表すとどんな旅でしたか?
- インドを見に行ったつもりが、自分を見に行った旅でした。そして、旅行に対する自信がついた旅でした。自分でもこんな苦しい旅行が出来るだと。
この先も貧乏旅行は何度かしていましたけど、ここまで過酷ではなかったですし、インドに比べればはるかに快適でした。
- Q.この卒業旅行の後、大学院に進学しさらに深く観光の研究をされていきましたが、何か影響はありましたか?
- 研究にはあまり影響はなかったけど、授業の教育には影響はありました。パッケージツアーの快適なエアコンが付いた旅行の方が豊かな経験が出来るのか、バックパックを背負って汗かきながらボロボロのホテル泊まり歩いたほうがいい経験になるのか、どっちのほうが良い経験になるのかということを学生に問いかけています。
私は旅行に関するサービスを研究していますけど、旅行に関するサービスを提供すれば提供するほど豊かな体験をできるのか、サービスを削ぎ落したほうがいいのか。私の場合は、素人の自分が1か月間行き当たりばったりでバックパッカーをしましたけど、もしかしたら旅行会社に頼んだほうが効率よく、まんべんなく行けたかもしれない。どちらがいいのかはわからないです。
ただ、いま観光分野の教員として、結果的に一番良かったのは、インド・ネパール1カ月のバックパッカーをしたことで、「この先生、本当に観光の先生なんだ」と少しでも学生たちに思ってもらえることです。たった1カ月ちょっとだけど一生のネタにできています。