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日本とは180度異なる世界を見に行った先にあった自分の使命

2024.03.13

元々お母さまがアメリカでボランティア活動に従事していた経験があり、その影響もあって幼少期から異文化に触れ、高校3年間はアメリカで単身留学を経験した江嵜先生。

そんな先生は、なぜ日本の大学に進学をし、途上国での研究をすることになったのでしょうか。

江嵜先生写真1

大学のプログラムで参加した”国連セミナープログラム” 引率してくださった恩師の言葉で途上国に行くことを決めたそうです。

セミナーのプログラム中、引率してくださった先生にこう尋ねられました。
「君たちは、国際社会の課題に意識をもって、将来的にその課題解決に自分自身が貢献できたらいいなと考えていると思うけど、世界にはいろんな国がある。例えば、私たちが住んでいる日本やアメリカといった、いわゆる先進国は、世界の何割を占めているか知ってる?」
「正解は、約2割。残りの約8割は途上国だよ」

知らない間に「世界=欧米」になってしまっていた私は、このままじゃいけない、世界の大部分を見るために途上国に行かないといけない!
と考えるようになりました。

江嵜先生写真2

ネパールボランティアでの一枚。孤児院ではボロボロになった教科書を使いまわすような環境だったが、そこでの子どもたちの学習意欲の高さに驚き、生き生きとしている子どもたちの笑顔が眩しかったそうです。

2週間程度、ネパールの孤児院でボランティア活動をしました。子どもたちの学習をサポートしたり、日本文化を紹介したり。ボランティア活動とは別に、現地の教育状況を知るために学校訪問も行いました。
ネパールの話を先生にさせていただくと、「君は、何でこの時代に、日本に生まれたの?」と尋ねられました。その場で即答することはできませんでしたが、ホストファミリーのお兄ちゃんの言葉と重なって、考えさせられました。
そして、日々研究に邁進する中で、私の使命は教育開発の分野で研究を通して途上国の国づくりに貢献することなのではないかと考えるようになりました。

江嵜先生写真3

調査の様子。子どもの家を一軒一軒訪ね歩き、インタビューをしていました。その様子を見ていた調査対象校の校長先生に後々感謝されることになりました。

インタビューを読む

Q.なぜ日本に帰国して大学進学をしたのですか?
高校時代、アメリカ、フランス、ベネズエラ、ロシア等、様々な国の出身者と肩を並べて勉強していました。あまりにも異なる価値観や慣習に圧倒される一方で、自国や自国の文化を意識するようになり、それらについて深く考えることが多々ありました。このような背景から、もっと自分の国を見つめ直してみたいと思い、日本の大学に進学することにしました。
また、多様な価値観やバックグラウンドを持つ人々と生活する中で、人間形成に多大な影響を及ぼす”教育”の重要性を痛感しました。そのため、”教育”と”国際”の2つを軸に、様々な関連プログラムが提供されている大学を選び進学しました。
Q.そのプログラムの1つが写真の国連セミナープログラムですね?どんなプログラムでしたか?
国連セミナーでは、ニューヨークの国連本部を訪問し、現役国連職員の講義を受けたり、インタビューを行ったりし、国際社会の諸課題や国際機構等の役割について学びました。10日間程度の滞在でした。
Q.実際にその時の印象はどうでしたか?
国連は、国際社会の平和と安全を維持するために、様々な課題を解決する高尚な組織というイメージでしたが、実際に話を聞くと各加盟国の考えや思惑が入り混じっていて容易に合意形成ができないなど、国連の複雑な側面を学びました。今思うと、まだまだ勉強不足でしたね(笑)

ある日の振り返りで、引率してくださった先生にこう尋ねられました。
「君たちは、国際社会の課題に意識をもって、将来的にその課題解決に自分自身が貢献できたらいいなと考えていると思うけど、世界にはいろんな国がある。例えば、私たちが住んでいる日本やアメリカといった、いわゆる先進国は、世界の何割を占めているか知ってる?」
「正解は、約2割。残りの約8割は途上国だよ」

知らない間に「世界=欧米」になってしまっていた私は、このままじゃいけない、世界の大部分を見るために途上国に行かないといけない!
と考えるようになりました。

江嵜先生写真2

ネパールボランティアでの一枚。孤児院ではボロボロになった教科書を使いまわすような環境だったが、そこでの子どもたちの学習意欲の高さに驚き、生き生きとしている子どもたちの笑顔が眩しかったそうです。

Q.そうして2枚目のネパールの写真に繋がるのですね。このプログラムではどんな経験をしましたか?
2週間程度、ネパールの孤児院でボランティア活動をしました。子どもたちの学習をサポートしたり、日本文化を紹介したり。ボランティア活動とは別に、現地の教育状況を知るために学校訪問も行いました。
当時、私が滞在していた地域は水不足が深刻で、シャワーは週1回しか浴びられないような状況でした。現地のホストファミリーは気を遣って「もっとシャワーしていいよ」と言ってくれましたが、現地の状況を見ていると、とてもそうすることはできなかったです。
Q.生活だけでも衝撃があったんですね。ボランティア先の孤児院はどんな環境でしたか?
孤児院では、30人くらいの子どもたちが生活していました。そこから学校に通っているようでしたが、1人1冊教科書を持っていない環境でした。でも、子どもたちはとても学習意欲が高く、ボロボロになった教科書を持って「教えて!教えて!」と駆け寄ってきていました。そういう環境でも生き生きとしている子どもたちの笑顔が眩しかったです。

ボランティア先以外では、よくホストファミリーの同い年のお兄ちゃんと、お互いの国の文化や慣習を教え合ったり、様々な社会問題について議論したりしていました。そんなある日、彼にポツリとこう言われました。
「なるほはいいよね。高校時代にアメリカに行ったり、今もこうしてネパールに来たり。自分のしたいことを自由にいつでもできるけど、僕はそうできない」
この言葉には、とても考えさせられました。

Q.日本での当たり前がここでは当たり前ではないということを実感したプログラムだったんですね。その後はどうして研究の道へ進んだんですか?
日本に帰国したあと、大学で”教育開発論”という講義を見つけ、すぐに受講しました。その担当教員が国連セミナーに引率してくださった先生で、学ぶ気があるならいつでも研究室においでと言ってくださいました。講義で学んだり、先生とお話させていただいたりする中で、知らなかった世界がどんどん広がっていってコレだ!ってなりました。自分の中にあった”教育”と”国際”という軸にはまったんですね。

ネパールの話を先生にさせていただくと、「君は、何でこの時代に、日本に生まれたの?」と尋ねられました。その場で即答することはできませんでしたが、ホストファミリーのお兄ちゃんの言葉と重なって、考えさせられました。

そして、日々研究に邁進する中で、私の使命は教育開発の分野で研究を通して途上国の国づくりに貢献することなのではないかと考えるようになりました。

江嵜先生写真3

調査の様子。子どもの家を一軒一軒訪ね歩き、インタビューをしていました。その様子を見ていた調査対象校の校長先生に後々感謝されることになりました。

Q.その後、大学院に進学して研究者の道に進んでいますが、他に選択肢はありましたか?
教育開発といっても関わり方は様々あって、よくあるイメージはNGO等でのボランティアとかだと思います。私は、ボランティアではなくプロフェッショナルとして関わりたいと思っていたので、JICAや研究職という道を考えていました。
そして、現地でのフィールドワークを通して、現場に軸足を置くことの重要性を痛感したこと、また、机上の空論ではなく、現地で地道で緻密な調査を重ねることで現地の人でも知らないようなことを解明することができる研究の面白さや意義を知り、研究職に進むことにしました。
Q.現場を大事にしたいという思いから研究者の道に進んだんですね。実際に現地では写真のようにインタビューをされているとのことですが、どのような研究をしているのですか?
持続可能な開発目標(SDGs)において「誰一人取り残さないこと」がスローガンとして掲げられていますが、途上国には依然として基礎教育を修了できない子どもや、質の高い教育を受けられない子どもがいます。そこで、個々の子どもたちに着目して、彼らの修学実態や教授学習過程を解明する研究を行っています。
写真からも分かるように、調査自体は地道で泥臭いものです。博士論文の研究では、学校での調査に加え、350軒くらいの家庭を一軒一軒訪ね歩き、インタビュー調査を行いました。
Q.すごい数ですね。一軒一軒回るとどれくらい時間がかかるんですか?
ネパールの地方には、日本のように何丁目何番地といった細かい住所が無いので、近くまで行って現地の方に〇〇さんの家はどこですか?と聞いて回るところから始まります。また、道路が整っておらず、徒歩での訪問になるので、かなり時間がかかります。
運が良ければ1日10軒回れる日もありましたけど、1日歩き回って3軒くらいしか行けない日もありましたね。
Q.調査関係で印象に残っていることはありますか?
現地の調査協力者や関係者に向けて研究成果報告会を開催した際に調査対象校の校長先生に言われた言葉が印象に残っています。
「私たちの国のために一生懸命研究してくれて本当にありがとう。研究成果だけではなく、あなたみたいな若い女性が、私たちの国の教育をよくするために、暑い日も寒い日も作業服を着て村中を歩き回って汗を流しながら頑張っている姿を、現地の女性や子どもたちに見せてくれたことがすごくありがたい。あなたは、彼女たちをエンパワーしてくれた」
思いもしなかった言葉に驚いたと同時に、胸が熱くなりました。

今でも江嵜先生は教育開発の分野で研究を通してその国の国づくりに貢献することを使命に、ネパールやその他の国々へ最低でも年に2回ほど訪問し、研究を続けられています。

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